見えていなかったリアル(真実)な『数式』

ナチュラルキラー細胞ご機嫌さん☺️

和(かず)です。

 

私は


『人生のリアル(真実)』って


『数式』みたいだなぁ、と最近強く感じはじめていて


自分はなぜこれまで
あんなにも『生きづらい人生』を生きていたのか
その『理由』が、パズルのピースがはまり合うようにサラサラと見えてくる瞬間があり


うれしすぎて飛び上がりたくなる事がある

 

何事においても


一つの事象を『結果』と見たときには


その『結果』を導き出す『原因』が必ずあって


⚪⚪(原因)だから


◻️◻️(結果)になった


という『成り立ち』はリアル(真実)なのだけれど


その◻️◻️(結果)を


例えば、『罰』などととらえてしまうと


犯人探しのような『原因』探しを


『自分の中』ですることになり


リアル(真実)が見えなくなる


『原因』と『結果』の成り立ちは


本来はシンプルで単純で


『数学』『数式』と同じだと思う


ではどうして


『数式』ではないような答えに見えてしまう事があるのか


それは


その事象の『内容』は何でもよくて


それがどんな事であったとしても


その『結果』を『罰』として受けとめて
自分が『不遇』に感じている事を自分自身に納得させたい『自分』


というのが隠れている


『自分』を責めたい自分
責める事で『変わらない自分』をそのままにしておく自分
そのままにしておける自分


というのが隠れている


体の『不調』や『病気』など


そもそも『罰』や『運』などでは絶対に無い


誰だって


やりたい事だけをやり続けたとしても


何日も寝食も忘れ何かに没頭しすぎれば


いずれ必ずぶっ倒れる


それは『罰』などではなく


今はゆっくり休みなさい


という体からの『サイン』だ


その『サイン』を無視し続ければ


どこかが壊れて当然で


シンプルな『数式』のように現せる『結果』だ


たとえその事象が


突然自分の前に降って落ちてきたような
『理不尽』に感じる事も


あなたの『幸せ』
その先には無いですよ


という


『本当の自分』からの


『宇宙』からの


『サイン』だ


自分の『信じて疑わないもの』が強固であればあるほと


その『信じて疑わないもの』を疑わせる事が出来るだけのさらに強烈で強固な事象が必要になり


『それら』は起こる


それでもまだ自分だけが信じる自分だけの現実を握り締めて離さないなら


それも本人の『自由』だ


誰も自分の人生を代わって生きれる者はいない


自分が『自分』に勝手に当てる『罰』はあっても


『自分』以外の誰かや何かに当てられる『罰』など


そもそも存在しない


どんな事も『意味』があって起こり


どんな事も


すべては自分のためにある


だからこそ


何でもかんでも『自分』を責める『ネタ』にしなくていいし


『自分』を責める必要も無い


『後悔』する事があるなら


その時の『自分』をフラットに見つめ直し


で、
これから
どうする?
どうしたい?


で、
『今』を
『これから』を


決めていければそれでいい


それが出来ればそれだけで


そこからの『原因』と『結果』は変わる


自分自身に起こる事
自分の周りに起こる事
自分に関わる人間関係…


それらの『原因』になる


『自分』が変われば


それにより導き出される『結果』は


必ず変わる

 

 


和(かず)