自分の『特質』

ナチュラルキラー細胞ご機嫌さん☺️

和(かず)です。

 

何事もほどほどに
任せられるものは人に任せて
7割出来れば良しとしようや

せやないと潰れてしまうで


…………… ………


そんな事が


あーそーですね❗❗❗


なーんて、すぐに出来ていれば


私は『病気』になんてならずに済んだよな😒


とよく思う


『完璧主義』が『原因』なのではなく


なぜ自分は、そこまで『完璧』を追い求めるのか


そこの『理由』を


『自分の中』に探っていかないと


『環境』を変え、関わる『人間関係』などを何度変えてみても


自身がその『理由』に気付いていない限り


自分の『人生の色』は変わらない


『完璧主義』が悪いわけではないし


『完璧主義』のおかげで『信頼』を勝ち取り、自身の身を助ける事も多々ある


しかし


そんな自分の『特質』が


自分自身を苦しめるなら


その『原因』は


『完璧主義』などでは明らかに無い


その辺りの見極めが


自分自身を深く掘り下げていく事に繋がるから


本当になかなか難しいところではあると思う


ゆっくり時間をかけて自分を見つめ直す事も


自分の『人生の時間』なのだから


誰に何を言われようが


本当に『アリ』だと思う


だけれども


自分の中では『焦り』が加速していくのに


何も『気付き』を得られず


現状が悪化していき


いつまでもいつまでも苦しいなら


それもまた


何かを


見誤っているのだと思う


自分が『自分』を知る事を


必死に避けているのだと思う


自分自身が


1番見たくないと自分が思っている『自分』と向き合わずして


何の『解決』も無い


『ありのままの自分』の解釈を間違うとさらに苦しくなるのは


自分が『自分』を分かっていないまま


認めていないまま


『外ヅラの自分』の自分のままで


その言葉だけを乱用するから


生きづらさが加速されていくのだと思う

 

 

 


和(かず)

一度の人生を二度生きる

ナチュラルキラー細胞ご機嫌さん☺️

和(かず)です。

 

『人生、やり直しができる』


小学生の頃に見ていたテレビドラマ📺❇️の


不良少女とよばれて』の中で


確か少年院の校長⁉️みたいな人が言ってたセリフが印象的で


なぜだかいまだに覚えてた


このセリフ、


なかなかリアル(真実)であると思う✨


『病気』をキッカケに


それまでの自分にとっては


絶対に
あり得ない
自分


で『今』の毎日を生きていて


自分でも心底思うが、


それはもう本当に


まるで
別人



まるで
別世界だ


それまでの自分は


『人生』とはこんなものだ…


と、半分『諦め』のようなものを抱えながら


それでいて『願い』や『望み』や『願望』は強く強くあり


我ながら今思うと


どないやねん
…😒…
ほんま自分言うてる事、支離滅裂でっせ😱


と、ツッコミどころ満載である
(゜゜;)\(--;)


自分の『生きたい世界』とは


いつでもすぐ『今ここ』にある


どこか遠い所にあるのではなく


頑張っていつかたどり着く場所でもなく


いつでもすぐ
『今ここ』
にある


このリアル(真実)に気付けたキッカケが『病気』であり


自分の『信じて疑わない世界』を強烈に握りしめて離さない私には


『死ぬ』か『変わる』か
どちらにしますか?
この2択しか
ご用意ございません😒


ってくらいの事が無ければ


それまでの自分を『全部、やめる』みたいな事は


怖すぎて出来なかったと思う


だからこそ今ははっきり感じる


誰人も


自分に起こる事すべては
自分のためにある


その時はその『意味』が分からなくても


『感情』が大きく動く事ほど


『無駄』な訳は無い


自分に必要であるから『それ』は起こる


自分の『信じて疑わない世界』を出るにはどうするか


経験すれば
疑わない


それしかない


怖くても、やってみるしかない


自分を負のスパイラルへ引きずり込む『記憶』『認識』『実感』……


それらを『書き換え』リアル(真実)を『知る』事


知らなかった世界を知っていく衝撃の日々は


なかなか刺激的ではあるけれどっ💦


それが
なんじゃこれ😵
こんなん『アリ』なんスか⁉️
いやいや…


めっちゃ
おもろいやん
😆


と、なれた頃には


昔の自分をオモシロおかしく可愛く思えて


自分が『自分』を生きていく人生が始まっている

 

 

 


和(かず)

拾われなかった『感情』はどこに行くのか

ナチュラルキラー細胞ご機嫌さん☺️

和(かず)です。

『電波』は


目には見えないけれど


確実に『存在』し


色んな目に見えるものを動かす


『感情』も


目には見えないけれど


確実に『存在』し


色んな目に見えるものに多大な影響を与え
動かしたりもする


過去のブログで何度も書いているが


『恥ずかしい❗』と思えば


その恥ずかしいという『思い』が『血流』に乗り全身を駆け巡り
目に見える耳や顔を赤くする


はっきりと言える事は


自分の『思い』『感情』『感じた事』などは


無かった事にはならない


という事だ


ではもし


『無かった事』にしてしまおうとしたら


その『思い』『感情』などは


どこへ行き
どうなるのか


無くなる事の無い『思い』『感情』などは


『押し潰された』状態になり


『押し潰された』現れ方


で、目に見えるように現れる


要は自分自身として『不自然』であるという事だ


例えばそれが『病気』だとするならば


『病気』そのものが『問題』なのではなく


その『病気』そのものを作り出す『自分自身』を変えていかなければ


『不自然』な状態は変わらないから


『場所』を変え『形』を変え


そしてそれは何度でも『再発』という形で


作り出してしまうし


出てきてしまう


『奇跡』と呼ばれるような『完治』などの症例は


実際に
この世に
山のように
『ある』


『寿命』でないなら


『治る』という可能性は誰にでも絶対にあるし


病気自体が『絶対悪』ではない


実際には『治る』『治らない』という言葉よりも


今、この瞬間の『痛み』や『出血』などがあると


誰よりも『自分自身』が苦しくツラい


『治りたい』という自身の強い『思い』がありながら


現れる自身の『症状』と噛み合わないのは


一体何を現しているのか


すべての『答え』は


『自分の中』にしか無いと思う

 

 

 


和(かず)

拾い間違う『自分の声』

ナチュラルキラー細胞ご機嫌さん☺️

和(かず)です。

『ありのままの自分』


という言葉を使う時


1番間違いやすく


さらに苦しくなるのは


自分自身が『本当の自分』を
知らないで


その『言葉』だけを使う時


寝る間も無いほど『仕事』に追われ


食事も休息もまともに取れず


『自分』を削って生きているような


『自ら止まれない』人間が


私は本当は何もしたくない‼️
『仕事』なんか嫌いなんだ‼️
何もしない暮らしがしたい‼️
子育ても家事もしたくない‼️


というようなことを思ったとして


それは決して


『本当の自分』でもなければ
自分の『本音』でもなく
『ダメな自分』でもなければ
自分の『やりたい事』でもない


それはただの


反動


でしかない


しっかり『睡眠』と『食事』を取り


日常の世界と切り離す『休息』の時間を持ち


その後に『自分』を見つめた時


それでもそう思うのか?


やりたい事を『仕事』にして『収入』を得たとしても


それでも『仕事』は嫌いなんだと思うのか?


何もしたくないとは?


今、追われて抱えているものを全て手放せたとしても
何一つ、本当に何もまったくしたい事はないのか?


やりたくない事を自らやめる事が出来ず
自分の『人生の時間』を切り売りしているような『外ヅラの自分』に
『ありのままの自分』という言葉を使わせてはいけない


それはただの『反動』であるのかどうなのか


先ずは自分が『自分』を『知る』事から始めなければ


一切何も始まらない


それが『反動』であれ何であれ


自分の中に『沸き上がる声』に


『良い』も『悪い』も絶対に無いのだけれど


『いいよ❗いいよ❗』と


何でもかんでも飲み込むだけでは


この世に『唯一無二』の自分が
あまりにもかわいそうだ


『自分』には


好きや嫌いや、得意や不得意など


他の誰でもない『自分』というものが必ずある


自分の中の『沸き上がる声』を聞いたとき


『自分』とは


何をどう感じ、どう『心』が動くのか


その『根拠』はリアル(真実)なのか、


深く、深く、さらに深く


『自分の中』の『自分』を探す


自分にとって『問題だと感じる事象』か


深刻であればあるほど


何でもかんでもそれが自分だ❗と


流れ作業のように『自分』を扱うのは


『自分』に対してあまりにも失礼で


『自分』がさらに分からなくなるだけだ


もっともっと丁寧に自分が『自分』を扱う事


そこに『他人』は関係無い


あの人が…あの事が…


何も1つも関係無い


自分が『自分』を


雑に扱う事だけは


何があっても


絶対にしちゃいけない

 

 

 


和(かず)